昨年末、巨人ファンに衝撃が走った。
村田修一が戦力外通告。
まさか、あの村田が。
フリーエージェントじゃなくて戦力外通告って。。
まだ37歳。いやプロ野球選手という職業であればもう37歳なのか。
だが村田ならすぐにどこかの球団がオファーを出すだろう。
あれだけの選手だし、出場機会に恵まれればまだまだやれる。
しかし、既にプロ野球のオープン戦が始まっている時期になっても村田修一の行き先は決まらない。
村田修一は転職活動に失敗してしまったのだろうか?
村田修一と転職活動
村田修一という男
福岡県出身の37歳。
その武骨な風貌から男村田と呼ばれる侍的存在のプロ野球選手。
いわゆる松坂世代の一人。
東福岡高校から日本大学へ進学し、当時ドラフトで採用されていた自由獲得枠で横浜ベイスターズへ入団。
1年目からホームラン25本という活躍を見せ、一躍横浜の主力選手に成長。
2007年には初めてのタイトルとなるホームラン王を獲得。
さらに翌年2年連続のホームラン王に輝き侍ジャパンにも選出された。
押しも押されぬスター選手となった村田は、その後優勝できるチームを求め、2012年読売ジャイアンツへとフリーエージェントで移籍した。
順風満帆な野球人生と誰に目にも思えた。
だがしかし、ここから村田の野球人生の歯車は狂い始める。
キャンプ、オープン戦から異様とも思える注目を浴びる巨人軍。
その巨人の伝統、人気球団というプレッシャーに負けたのか、移籍一年目は本来の力を発揮することが出来ず、時には原監督から試合中での帰宅を命じられるほど苦しんだ。
しかし、その後は本来の力を取り戻し巨人の主力の座をしっかりと確保した。
原監督から巨人の枢軸と呼ばれる存在にまでなっていった。
のも束の間、年齢を重ねるごとに村田の存在は年々ぞんざいになっていく。
一昨年は若い岡本との争いに勝ち、打率3割をマーク、ベストナインとゴールデングラブ賞にも輝いた。
にも拘わらず、昨年は補強した外国人マギーとの併用となり出場機会は一気に減少してしまう。
結果を出してるのに評価されない。
どこかのサラリーマンのような扱いを受け続けた村田。
ついには若手育成という球団の方向性により、戦力外通告をされてしまう事態になってしまった。
サラリーマンでいえば、解雇通告を受けてしまったのだ。
村田は本当に巨人に来るべきだったのだろうか?
大企業か?中小企業か?
巨人はプロ野球界では最大の大企業の一つだろう。
ソフトバンクのような近代企業的大企業ではなく、古き良き日本的大企業の巨人。
巨人への転職組の扱いは決して良くはない。
最近でこそ井端や片岡、金城や江藤のように外様組でもコーチとしての就職先を用意してくれてはいるが、生え抜き組ではありえないような待遇をされるのも巨人の特徴。
晩年の落合は、清原に追い出される形で球団を追われた。
ガッツ小笠原も力が衰えた途端チームには必要とされなくなった。
廣澤も清原もみんなそう。
転職組には決してやさしい球団ではない。
さらに巨人の場合、監督になれるのは生え抜きだけだ。
歴代の監督を見てみれば一目瞭然。
- 高橋由伸
- 原辰徳
- 堀内恒夫
- 長嶋茂雄
- 藤田元司
- 王貞治
- 川上哲治
巨人は転職組では監督になれない。
転職組が社長になれないのと同じ事。
大企業の場合、転職組にはそれほど扱いは良くない。
転職先にポストは用意されてはいるが、出世しようにも上はギチギチに詰まっている。
そいつらを抜こうとしても残念ながら社歴が重要視されるため抜くことは相当困難。
それどころか、転職組は成績を残さないと干されてしまう。
転勤なり降格なり希望退職なり、真っ先に候補に上がるのは転職組だ。
大手になればなるほど転職組の居場所は非常に限定されている。
村田のようにならないために
村田修一は、あのまま横浜に残っていたらどうなっていたのだろうか?
まさか37歳で戦力外通告されることはなかっただろう。
仮に今よりも成績が出せないにしても、球団は首脳陣への道を示してくれたはず。
あっさりとポイ捨てするようなことはなかったんじゃないだろうか?
サラリーマンの場合、ちょっとくらい成績が出ないくらいでさすがにポイ捨てされることはない。
だけど、転職組が不遇な扱いを受けることは考慮しなければいけない。
だからこそ、ヒエラルキーの上に食いつける会社に移籍すべきなのかもしれない。
自分が管理職、経営層に昇格できる可能性がある会社へ移籍すべきだ。
転職組には積み重ねた社歴という実績がない。
どんなにスキルと積み、自己研鑽したとしても社歴だけは手に入れることは出来ない。
転職して失敗しないためにも村田修一の生きざまを参考にしよう。
ガンバレ村田修一!