COBOLと聞いてピンとくるエンジニアは、もはや昭和の残党ですね。
一昔てゆーか二昔前はCOBOLのエンジニアが圧倒的に不足していて、どこもかしこもCOBOLをやらせるなんて時代もあったようですが、もはや遠い昔の話です。
今でもCOBOL案件の需要はありますが、新規開発案件はほぼ皆無で、COBOLからのリプレース案件くらい。
だからCOBOLしかできないエンジニアは、行き所に困ってしまう時代。
でも、COBOLしかできなかったエンジニアが売れっ子に変貌できる可能性だってあるんです。
COBOLしかできなかった58歳のエンジニアが今どのように変貌したのか?
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COBOLエンジニアの末路
COBOLって何?
COBOLって何?って聞かれてもぶっちゃけ詳しくは知りませんw
オッサンだけど時代じゃないし、そもそも開発系のプログラマじゃなかったしね。
なのでWikipediaを見るべし。
三行で説明するとこんな感じ
- 事務処理用に開発された事務員でも使えるようにした言語
- 英語に近くて読みやすい自然言語
- ソースは冗長になってしまうんだけど可読性が高く誰が書いても同じように作れる
メンテナンス性が高く正確だから金融系のようなミスの許されない業界では重宝されるって感じでしょうかね。
とはいえ、1959年に開発された言語でとにかく古いから、使えるのはオッサンだけという状況です。
58歳COBOLエンジニアはどうなった?
さて本題の58歳元COBOLエンジニアのお話。
58歳のCOBOLエンジニアをOさんと呼びます。
Oさんは、バブルの恩恵を受けまくった羨ましい世代。
専門学校を卒業後、特に何がやりたいということもなく、システム開発をやっている会社へ入社。
その会社ではC言語やVBの開発者が多かったようですが、OさんはCOBOLの開発者として経験を積んだ。
バブル絶頂期は仕事も激務だったそうですが、その分遊びも派手だったそうな。
仕事終わりに新宿の寿司屋に繰り出し、そのままキャバクラへと流れ、夜中というかもはや早朝の3時4時にタクシーで帰宅。
Oさんの自宅は神奈川県の戸塚方面だったのですが、当時は普通にタクシーチケット貰えたんだそうです。
大手のプロパ社員だけでなく、パートナー会社のSEにまでタクシーチケットがホイホイ出る時代って今では想像すら出来ません。。。
そんなOさんは何度か転職を繰り返し、今の会社にたどり着いたのは42歳のころ。
42歳になったOさんだが、とにかく仕事が適当。
遊び癖が抜けないからなのか、現場に配属されてもすぐにクレームが入り戻されてしまう。
だけど経験があるからなんとか潜り込めてはいた。
でも、50歳を迎えたあたりから雲行きが怪しくなる。
さすがにCOBOL案件も少なくなり、会社で待機する時間が増えるようになってしまった。
いつまでもOさんを待期させておくためにはいかないため、会社はOさんをあるERPソフトの保守案件に無理やりねじ込んだ。
よくCOBOLしかやって来なかったOさんを受け入れてくれたなぁ、と思ってましたが、当時ERPソフトを売り出し中の某会社はそれほど人材難だったそうで。。
誰でもいいから人が欲しい。
サルでもいいから手を貸してほしい。
そんな状況に上手くマッチしたのがOさんだった。
当然ERPソフトなんか触ったことないOさんだったが、半年、1年、2年とERPに触れていくにつれて徐々に適応していく。
そして気が付けばもう8年も同じERPソフトの案件をこなしている。
8年もやればかなりのベテランで、今ではコンサルクラスの仕事を任されているんだとか。
契約金額も当時は60万円くらいでしたが、今では80万円を大きく上回っているそうです。
50歳でもスキルチェンジできる
Oさんのように50歳を過ぎてもスキルチェンジすることは十分可能です。
ただそれには、古い技術にこだわらず新しい技術を受け入れる姿勢が必要なのです。
たまたまOさんは適当な人だったから新しい技術を受け入れられたんですが、こだわりの強い人は古い技術を捨てることが出来ない。
固執してしまってはイケません。
常に新しい技術を受け入れる柔軟性さえあれば、IT業界はなんとか生きていけるものです。
レガシースキルしかないからと諦めたら終わりです。
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